先日、大菩薩嶺にのぼるため中央本線・甲斐大和駅に行ったところ、栖雲寺(せいうんじ)というお寺の「宝物風入れ展」のチラシが置かれていた。
どこかで聞いた名前だと思い、調べてみると、いま上野の東京国立博物館で開催されている「禅」展に普応国師坐像を出しているところだった。
http://zen.exhn.jp/
かなり印象的な木像だったので、「あ~、あれね」となった。
普応国師は元の禅僧で、栖雲寺開山のお師匠さんだという。
これは何かの縁だろうと思い、年に一度の御開帳に行ってみることにした。
http://www.tenmokusan.or.jp/
というわけで甲斐大和駅にやってきたのだが、のんびりしていたので正午になってしまった。
駅を出るとこんな感じ。
甲斐大和駅の旧名は「初鹿野(はじかの)」。
諏訪の神様に関わりのある名前らしい。
いい名前なので残しておいてほしかった。
駅のそばには諏訪神社があるのでお参りする。
小仏峠(高尾山のとなりくらいにある峠)を越えると、甲州街道の終点・諏訪大社の磁力を感じるようになる。
別にオカルト的な意味でなく、住民の信仰がそちらに向かっていることが道の上からでも見て取れるのだ。
司馬遼太郎『街道をゆく』の甲州街道編は日本橋からはじまって八王子(つまり小仏峠の手前)で終わっている。
八王子は八王子千人同心の町、つまりは江戸の磁力の下にある。
そこで街道を「ゆく」のをやめたのは司馬に何か意図があったのかどうか。
甲州街道を江戸から行くと、小仏峠で一度空気が変わり、笹子峠でまた空気が変わる。
ずっと山間を歩いてきたのが、甲府盆地に入って急にひらけた感じがする。
諏訪大社の磁力もまた一段と強くなるように感じられる。
甲斐大和駅はその笹子峠を越えた最初の駅だ。
駅の裏手には武田勝頼の像がある。
ここは武田氏滅亡の地である。
敗走の勝頼一行の目指したところが、今日の目的地である栖雲寺。
しかし彼らはたどりつけずに終わった。
思えば武田勝頼の母は諏訪氏。
岩殿山に籠るという当初の予定が狂ったのも諏訪大社の磁力なのか。
諏訪神社にお参りしたあとで歩きだす。
Googleマップによると、 栖雲寺まで6km弱。
徒歩で所要時間1時間半とあるが、時速4kmで歩きつづけるのはしんどい。
もうすこし時間がかかるだろう。
今日の最高気温は17度。
暑くてさっそくTシャツ1枚になる。
道はこんな感じ。
なぜか沢蟹が死んでいる。
国道20号と分かれる。
ハッピードリンクショップ(ただ自販機が並んでいるだけ)。
これを見ると山梨県に来たという感じがする。
武田氏最後の戦いその1、四郎作(しろうつくり)古戦場跡。
山に抱かれた集落。
武田氏最後の戦いその2、鳥居畑(とりいばた)古戦場跡。
ここで自害した勝頼たちのために家康が景徳院という寺を建てた。
栖雲寺の御開帳が午後3時までということもあり、いったんパスして先に進む。
何か渋い門。
お蕎麦屋さん。
人気の店らしく、駐車場がいっぱいで、入れない車が困っていた。
栖雲寺は蕎麦切り発祥の地でもある。
麺類先進国・元から帰ったお坊さんがそばを塊のまま食ってるそばがき民たちに「YOUさあ、俺のいたGENではこうやって食ってたんだけど」といって切ってみせたのが現在の蕎麦のはじまりである(想像)。
本日体験できるプログラムはないみたい。
すすきと雲。
竜門峡遊歩道といういかつい名前の道をとおっていく。
橋を渡るとコースのはじまり。
竜そして熊。
意外と礼儀正しいのね。
最初はこんな道。
右手には沢。
ちょっと難所感が出てきた。
ちょっと怖い。
前日の雨のせいか、ぬかるみ多し。
いい岩あるじゃねーの。
さっそくのぼっちゃうおじさん。
今日ははじめからブログに書こうと思って歩いていたのでこんなことをしたが、俺ふだんなら絶対こんなことしないよな、と思う。
「書くこと」と「実生活」の関係や「虚実皮膜」ということに深く考えこむ……が、魚を見つけたので瞬時に忘れる。
お魚いたー!
とにかくずっとせせらぎに包まれている。
あらきれい。
平戸の石門だって。
えぇ……こことおるんスか……。
きれいに割れている。
そんなこんなでゴールすると、栖雲寺は目の前。
遊歩道の所要時間は1時間ほど(駅から遊歩道入口までは徒歩1時間。なお駐車場有)。
体力的には高尾山の6号路を歩けるくらいならだいじょうぶだろう。
道標がちゃんとしているので地図がなくても安心。
何箇所か「ん?」というところもあったが、落ちついて道の先を見れば迷わないはず。
後半のぼりがややきつくなるので、足元はハイキングシューズがおすすめ。
雪が積もったあとに来てみるのもいいかもしれない(ただしその時期、帰りのバスはなくなる)。
で、お寺。
中は写真撮影禁止なので写真はこれだけ。
境内に町の集会場があって、そこで拝観料500円を払う。
町の人が受付等をしている。
宝物は集会場の中に展示されていた。
おもしろかったのが「十字架捧持マニ像」。
仏画なのに十字架を持っていて、服はマニ教ふうという珍しいもの。
そして元朝のものだからなのか、顔が明らかにモンゴル系。
ふだんは県の博物館に寄託されていて、しかもそこでは展示されていないそうなので、見たければここで見るしかない。
係の人に写真を撮っていいか聞いたら不可だといわれたのだが、すぐあとに新聞社の人が来て写真をバシャバシャ撮っていて、さっきの係の人に「ごめんなさいね」と謝られた。
マスコミめ~。
本堂に移動。
そば職人がそばを切っている。
あがったところが囲炉裏になっていて、「囲炉裏カフェ」なるものが行われていた。
実は私、お茶とかコーヒーとかを一切飲まない人間なので、こういうときに困ってしまう(単に嫌いなだけで、宗教上の理由などではない)。
「お酒飲まない」だとまだいいが、「お茶飲まない」とカミングアウトすると「えっ?」て顔をされることが多い。
ふだんは「母の目がよくなるようにお茶断ちしてるんです」とか「先祖がボストン茶会事件に関わっていたので『お茶飲むな』が家訓なんです」などと嘘をついてごまかしているが、こういうとこだとそうはいかない。
靴を脱ぐとさっそくお茶を勧められるが、「一刻も早く本堂を見たい人」のふりをして逃げる。
本尊のお釈迦さまは禅寺らしく宝冠をかぶっていた。
開山の業海本浄坐像はいいお顔をしている。
東博に行っている普応国師坐像はもっと曲者感のあるお顔だった。
普応国師は寺にとらわれず、山とかで修行しちゃうというかなりハードコアな禅僧だったわけだが、そこに海を渡って弟子入りしちゃう栖雲寺開山もかなりやばい。
師匠のいた山に似てるからって自分の寺を天目山栖雲寺と名づけたそうだが、そういう師弟愛ってすてきだと思う。
このあたりの禅僧の関係性を腐の方々が掘りさげていったらホントたいへんなことになると思うよ。
本堂の受付にはきれいなお姉さんが2人いた。
「思ほえず山里にいとはしたなくてありければ心地まどひにけり」というやつですわ。
着ていたフーディーニJKTの裾を切って歌を書いて贈りそうになったよ。
寺を出て歩いて帰ろうと思ったらちょうどバスが来ていたので飛び乗る。
そのために景徳院は行かずに終わった。
甲斐大和駅に着いたのが午後3時。
寺から歩いて帰るつもりならあと2時間早く家を出る必要があった。
今日は大きなミスもなく、よく歩けたのでよかったです。
おしまい